ふつうであることに寛容でない社会が今なのかもしれない

インターネットを使ってたくさんの情報を収集していると、世の中には自分よりもすごい人が星の数ほどいる。元々、競っているわけではないが、それぞれの分野で輝かしい実績、名声、実力を持っている人がたくさんいる。

民衆はその人達は手放しに絶賛する。

そして、普通の人々は自分が何も持たないことに絶望する。

少なくとも自分は何も持たない自分に絶望する。

人間って唯生きて死ぬだけじゃ駄目なのだろうか。

社会的に立派な人にならないとダメなのだろうか。

人を蹴落としてまで成功しないと行けないのだろうか。

そもそも成功とは何なのだろうか。

夢を持とう、今の若者は向上心がない、このままだとグローバル経済に日本人は飲み込まれる。

そんなに頑張って生きていかないといけないのかな?

中流以上の日本人は土方系労働者をバカにするけど、例えば何故アジアの労働者のことは馬鹿にしないの?

なぜ少し意識が高い人に限って、発展途上国の人は日本人と違って目が死んでなく活発的だと甘めな評価をするの?

もっと身の回りにいる普通の人たちに対して、少しの尊敬の念がないの?

人間一人一人には社会的に役割があるんだ。

確かに誰でもできる仕事はある。

でもその誰でもできる仕事をしている人がいなかったら生活できない人もいる。

もっともっと寛容な世界ができるといいな。

そんな俺は今日車に乗って狭い道を走っていた。

前から向かってくる幼児を後ろに乗せた自転車に乗った奥さんが、俺の車とすれ違う瞬間に自転車から降り、俺の車をなんて危ない存在なんだコノヤローていう目つきで睨んできた。

俺はせいぜい10キロ以上の子供を乗せた自転車をまともに運転できないやつが睨んでんじゃないよと思いました。

ピース!

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